もしもあなたの身体の自由が他人に委ねられるとしたらどう思うだろう。
多くの人は理不尽だと怒りを覚えるはずだ。誰であれそんなことをできる権利は持たない。それはどんな人であれそうだということは誰だって知っている。
しかしながら、これが精神の自由となると話が変わってくる。
世の中の多くの人は、他人や外部の何かに精神の自由を委ねている。それも、自分がそうしているとは思いもしないでだ。これが多くの悲劇を生んでいる。
精神の自由を外部に委ねている人
もしもあなたが殴る蹴るなどの暴力を受けた場合、必ず然るべき対処をするはずだ。
しかしながら、精神の自由に関しては多くの人がされるがままになっている。より詳細に書くならば、殴る蹴るなどの暴力を受けるのを甘んじて受け入れているようなものだ。
何か嫌に思えることがあると、どうしてもそれに反応してしまう。そしてその湧きあがった感情に巻き込まれていき、ただただ不快な感情を募らせていく。
これは、ずっと暴力に耐えているのと同じだ。それも、誰もいなくても続く分なおタチが悪い。
自分の気持ちはコントロールできる
だからといって反撃しろと言っている訳ではない。それは場合によっては、事態をより厄介にしてしまうことだってあり得る。
ここで言いたいのは、自分の気持ちは100%自分でコントロールできるということだ。
気持ちというものは、あくまでも全て自分の内部の働きによって変わる。
不快な感情が湧いてきた時、それをスッとそらして巻き込まれないようにする。暴力をスッと躱して、そのまま逃げるようなものだ。それだけでも随分と変わる。少なくともなすすべもなく耐え忍ぶよりは遥かに良い。
多くの人は感情のコントロールは出来ないと思っている。それは、コントロールをしようとした経験が少ないからだ。
感情というのは、少しずつ慣れていけば確実にコントロールできるようになる。重要なのは、そうしようという決意だ。それをなるべく持つようにすれば、もう大半は達成したようなものだ。
復讐は自分自身を一番強く苛む
不快な感情を、いつか誰かに復讐する時のために持っているような人が居る。
復讐をやめろともやれとも言うつもりはないが、ずっとその感情を握り続けていたら、多くの場合相手以上に自分が苦しむことになる。
人を呪わば穴二つというもので、その苦痛は自分にも返ってくる。復讐をしても、相手に自分が感じた以上の苦しみを与えられるということは稀だ。
もしそういったことをしても、今度はその復讐した時の行為によって苦しめられることもある。
ではどうすれば良いのかというと、使い古された言葉だがあなた自身が幸せになることが最大の復讐だと言える。
復讐相手によってもたらされたことなど、自分の人生にはなんら影響を与えていない。もし幸せになれば、あなた自身の人生によってそれを証明できるのだ。
復讐の念や恨みというものは、捨てろと言って捨てられるものではないかもしれない。その時はそれでも良い。
だが、持ったままで良いので少しでも自分を幸せにしてもらいたい。その過程で、そもそも復讐する必要すらなくなることだって起こり得るのだから。
では、今日はこの辺りで。あなたに幸せが訪れますように。