うつ病ニートからお金持ちになった引き寄せの法則体験談(後編)

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(前編)(中編)はこちら。

元々は「引き寄せの法則でどん底から人生逆転した時の体験談」というタイトルだったのですが、こっちの方が正確なので変更しました。

本題の話に入る前に、少し前置きをしておきますね。

信じられないようなことばかり起こって一気にすべてが解決したという話は、私自身たくさん聞いてきました。

なので、引き寄せの法則や潜在意識を自分の意図通りに使うことができるのなら、こうした奇跡のようなことが起こるのは全くおかしなことではないのでしょう。

ここで強調しておきたいのは、「信じられないようなことが起こる」というのが共通しているところなんですね。

もしかしたら自分と似たような境遇の人が引き寄せを活用して全て解決したという話を聞いたことがあるかもしれません。

その時参考にするべきなのは、具体的に何が起こったか、ではなくどれほど不思議なルートを辿ったかです。

そして、大切なことは、自分にその不思議なことが起こっても良いと思うことです。

例えば、何億円ものお金がたくさん欲しいとなった時に、多くの人は「宝くじを買うしかない」と無意識的に考えてしまいます。

実際に引き寄せで宝くじを当てたような人が居れば、無意識的にそう思ってしまうでしょう。

そうではなく、自分が想像すらしてないルートから何億円もの大金が入るかもしれない、ということを許して欲しいんですね。

願いが叶うルートを、わざわざ限定する必要なんてないんです。

他人の体験談を見た時に、「こうしなきゃいけないのか」と思うのではなく「このくらい不思議なことが起こることもあるのか」と思った方が叶いやすいということですね。

私の話も、その程度のものとして聞いておいてください。

前置きが長くなりましたが、そろそろ本筋に戻りましょう。では、前回の続きです。

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 白蛇財布の購入後に気づいたこと

前回、すがるようにして開運の財布を買ったところまで話しましたね。ではその続きから。

買った直後こそ「ちょっと変なお金の使い方をしてしまったかな」と後悔しましたが、いざ財布が届いてみると、中々悪くない。

思ったより見栄えも作りも良さそうなこともあり、そうした後悔はすぐになくなりました。

財布である以上、ほぼ毎日取り出して使う機会があります。

私の買った財布は、神聖な白蛇の恩恵を受けている財布という触れ込みでした。

そういったこともあり、使う度になんとなく神聖な何かに見守られている気分になって、買い物が少し楽しみになってきたんですね。

そうした日々を過ごしていくうち、段々財布への愛着がわいてくる。

「金運があるのかどうかはわからないけど、この財布自体は気に入った」というようなことを考えていた時、ふと思いつきました。

「なぜ引き寄せの法則は信じつつあるのに、この金運がよくなるという触れ込みは信じられないんだ? もしかしてここに強固な思い込みがあるんじゃないか?」と。

そのことに気づいた私は、なるべく超常的なものに対する見方を変えるようにしました。うさんくさいと思いつつ、金運に関しても「そういうものもあるのかもしれない」と肯定的に捉えるようにしたんですね。

毒を食らわば皿まで。どうせなら徹底的に信じてやる、と。

大きな変化の到来

すると、そこから1週間も経たないうちに、前職のブラック企業絡みの件で約120万円ものお金が入ってきました。当然、驚きました。いや、それまでの過程も聞いたら必然的な出来事なのですが、タイミングがタイミングなだけに何か作為的なものすら感じられたんですね。

こういう状況になると、もしかしたら本当に人生を根本的に変える何かを手に入れつつあるんじゃないかという喜びやら、もしそうだとしてそれを逃したらどうしようという焦りがどうしても湧いてきました。

当時は瞑想をやり始めてまだ日が浅い。加えて人生に大きく関わるような出来事だったため、中々落ち着くことができません。

その他にも様々な方法でお金が入ってきました。引き寄せの法則とはよく言ったもので、そうした意味不明な臨時収入が入ってくる度、上に書いたような喜びと焦りや混乱は大きくなっていきました。

しかし、そんな状態が一気に変わるある出来事が起こります。

 ふと気が向いて実物の白蛇を見に行く

ある日、私は用事があって実家に帰りました。

用事自体はすぐに終わってしまったのですが、ふと暇を持て余したので、近県にある白蛇を祀っている神社へ赴くことにしました。

なぜそんなことをしたのかは、未だによくわかりません。ただ、ふっと操られたかのようなスムーズさで足を運んだことは覚えています。(本筋とは関係ないので軽く触れる程度にしておきますが、この旅行中に財布を拾い、届け出た交番でちょうど持ち主に出会ってかなりの謝礼を頂きました)

私は神社を詣でた後、近くで生きている白蛇を見られると聞いていたので、すぐに向かいました。

そこで実際に白蛇を見た時の感動は、今でも覚えています。

宝石のような赤い瞳に、神秘的な白い体。どこか光を煌めかせているようにも見えて、その印象はなおのこと強い。大げさな話ですが、これほど美しい生物を見たのは初めてだとすら思いました。

何か打たれたような衝撃が心の中に残ったまま、私は家へと帰りました。しばらくして写真を撮らなかったことを後悔しましたが、きっと撮ったところであの神秘性まで映すことはできないでしょう。

 心境の決定的な変化

この項の内容は滅多に話したことがないので書くかどうか悩んだのですが、長らくお待たせしてしまったということもありますので書いていくことにしました。

白蛇を目にした日以来、私はふと生き物というものについて考えることが多くなりました。生き物全てが、今まで見てきたものよりも遥かに美しいとすら感じられるようになったんですね。

その対象は次第に、自然や人、人工物など世界そのものへと広がっていき、それに比例して不安は消えていきました。

その頃の私は、毎日のように散歩をしていました。世界というものの不思議さに関して、散歩をしながら思いを巡らせることが日課になっていたんですね。

道行く木々の木漏れ日、流れる川のせせらぎ、行き交う人々の幸福そうな顔、全てが祝福に満ちているように感じられました。

小鳥が実をついばみ、猫がトカゲを咥える。歩きながらそんな光景を見かけ、ふと手元の白蛇財布に目をやりました。

地球は様々な連鎖が起こり、在るべきものがそこに在る。その時、手元にある白蛇の財布は、私が感知しないままに様々な過程を経て私の手に渡りました。

目の前の財布が、いまこうして私の手に在る。その事実を実感した時、突如としてすべてが大いなる奇跡の光景であることを実感し、同時に地球や大いなる何か――人によっては神だとかハイヤーセルフだとか至高者と呼ぶのだと思います――に心から敬服したい気分になりました。

そのままふと空を見上げました。その時の私の目に映った空は、空のようで空でない何かのようでした。いつも見ている空とは全く違うすばらしさを感じました。

後になって思い返すと、おそらくあれは私たち人類が空を「空」と名付ける前の、概念としても名前としても空を知らなかった頃の空を感じたのだと思います。ややこしいですが。

そうした感情を味わった直後のことです。

「たかだか1人の人間程度、この地球が生かせないはずもない」という気持ちで満たされるようになったんですね。

この時、自己卑下的な感情は一切ありませんでした。むしろどこか誇らしい気持ちすらあります。

地球という星の偉大さに比べたら、たかだか1人の人間に何ができるでしょう。むしろただただ全てを投げ出し地球に敬服したい気持ちになりました。

以前、宇宙からの帰還という本を読んだことがあります。

その本に出てくる宇宙飛行士は、宇宙から地球を見て以来、私と同じように地球への敬意に満ち溢れ、人生が根本から変わってしまった方も多いそうです。

熱心な宗教者になった無神論者の方もいらっしゃいました。

おそらく、彼らの感じたことと私の感じたことは非常に近いのではないかと思います。

この辺りの心境の変化は理解しがたいかもしれません。おそらく理屈で追えるものではないでしょう。

が、真に偉大なことというのは人間の理性で捉えられるものではなく、与えられるものなのかもしれないと今では思っています。

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生きる気力の欠如

このような心境の変化を経験した後、私は少しずつ様々なことに対する意欲を失っていきました。

お金を稼がなければならない、他人より秀でてなければならない、世間の要求する常識を満たすような人物でなければならない、大きな業績を挙げなければならない……そういった思いと共に、いわゆる一般的な活動に対する意欲というものが消え失せていきました。

自分の将来に対する関心をほぼ失ったと言っても良い。

こう書くと、負の印象を持たれるかもしれません。

しかしながら、当時の私は内面的に言えばそれまで生きてきた中で最も満たされていました。

丸一日、外を出歩いたり生き物を眺めたり日の当たるベンチに腰掛けたりするだけ。

行動だけを見れば世捨て人に近い状態といえるでしょう。

上記のような心境になって以降、あれほど起こっていたお金の引き寄せが、不思議なほどに起こらなくなる。お金は次第に尽きていきました。

が、私は心底それで良いとすら思っていました。

この先どうしようもなくなるならば、それはそれで構いはしない。

本気でそう思い、目の前の現実を受け入れていました。

気分は、むしろどこまでも穏やかで落ち着いていました。

あれほどの平穏を味わえる人間というのは、もしかしたら極々少ないのかもしれません。

 徐々に変わる現実

そうした生活をしている内に、様々な人から話しかけられるようになりました。

初めのうちは単純な道案内や世間話でしたが、次第に段々深い相談なども持ちかけられるようになりました。

相手が解決を求めているのなら、自分の力の及ぶ範囲で助けるようにしました。

アドバイスもしますが、私以上に本やらなんやらの方が内容があると思っているので、その人に合うものがあればなるべく勧めるようにしていました。

この時期は、ただリアクションだけで生きていたような気がします。

助けを求める人が居るなら、なるべく応えようというように。

他人のためだけを思って生きるというのは、人が思っているよりも遥かに幸せな状態だということを悟りました。

そうしていくうちに、少しずつ意欲が元に戻ってきたんですね。

こう書くと語弊がありそうですが、少しずつ普通の人間らしさを取り戻していったような気がします。

ただ、上で書いたようにあの意欲のない状態というのは決して悪い状態ではありませんでした。精神的にはとても満足のいく状態でしたし。

今振り返って思うと、何かの準備のためにああした過程を経たのだと思っています。

 友人からの運命の誘い

そして、ある日大学時代の友人から連絡が来ました。

久々の再開ということで飲みに行くと、二人で近況を語り合いました。

私の方はこれまで書いた通りで、友人の方はというとなんと起業するかもしれない、とのこと。

その時会ったのも、私のノウハウが欲しいから協力して欲しいということでした。皮肉にも、ブラック企業時代に培ったものが大いに役立つことになります。

この頃来るもの拒まずの状態になっていた私は、二つ返事でOKを出しました。

そうして二人で新しい事業を始めることになるんですが、申し訳ありませんがこれ以降は本当に身バレの可能性が大きくなるので省略させていただきます。

滅多に他の人に話さないことまで書いてしまいましたし。

まぁ加えて言うなら、引き寄せ的に参考になるようなエピソードもないんですよ。上で書かれた心境の変化でほぼ完結してます。

一言で言ってしまえば、大した技術でもなかったのに予想外なほど人気になったという程度ですね。

リリースしたらいきなり運よく大ヒット、とそんなもんです。

売り出したら売れました、ってな具合に。事実を詳細に書こうとしても、結局そうなる。

一応、それまでに散々戦略を練ったり努力もしましたので、普通の人なら「努力が実った」と表現するでしょうね。

当時はひたすら充実感に包まれていたので、努力という感じはしなかったのですが……外から見ればかなり努力しているようには見えたでしょう。とにかく1日1日を全力で生きていました。

この後は、恋愛絡みで良い相手見つけたり、こっちはこっちでまた独立したりと色々です。

まぁ、なんというか上手く行く時なんて案外そんなもんみたいです。

 財布と内面の変化の関係

こうして書き出してきて思いましたが、白蛇の財布をきっかけにして現実が動き出した印象ですね。

色々お世話になったので、宣伝しておきます。

もしかしたらあなたを幸せにする財布かもしれませんよ。出来ればずっと順調経営を行なっていってもらいたいところ。

結局今でも金運があるのかはわかりません。現実が変わったのは、私の認識が変わったからという可能性が高いでしょうし。

しかし結果としてお金を運んできてくれたので、まぁそれで良いかなと思ってます。多少うさんくさくとも(笑)

買ってなければあの心境の変化も訪れなかったでしょうしね。

あの心境の変化は起こそうと思って起こせるのかはわかりません。

ですが、求めれば必ず誰にでも起こるものだという不思議な確信はあります。

それがどのような過程を経るのかはわかりませんが、似たようなエピソードを聞く限りだと絶望している人ほど内面的変革が起こりやすいのではないでしょうか。

おそらく、変化の必要性が緊迫していて、切実に願うからでしょうね。

長らくお待たせしてしまいました

さて、この体験談の後編は、楽しみになさっていた読者の皆様が非常に多いようです。メールやコメントなどでもよく楽しみにしていると言われました。

お待たせしてしまい申し訳ありません。

前編の投稿から約4か月でしょうか? 随分長く空いてしまいましたね。

ですが、その分重要なエッセンスを充分詰め込んだつもりです。

この一連の体験談は、きっとどのような願いを持っている方にとっても大きな参考になり得るものだと自負しております。

読んだ時期によってはなんのことだか全くわからないことが書いてあるかもしれませんが、気が向いた時にはいつでも読み返してください。

その時、全く違った感想を覚えることだって珍しくはありません。この体験談は、そういう風に書いています。

願わくば、この記事がみなさまの力となりますように。

では、今日はこの辺りで。あなたに幸せが訪れますように。

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コメント

  1. take5 より:

    こころさま

    後編の記事楽しく読ませていただきました。
    この記事を読んで、私もふと思い出したことがありましたので書かせていただきたいと思います。

    実は……というほど珍しい話でもありませんが、私は高校生の時に一度自殺をしようとしたことがありまして。
    まぁ結局、死ぬ勇気もなくて何にも出来なかったんですけど。

    それでもその時、その瞬間は確かに死のうとしていて、その苦しみから逃れるにはそれ以外にないと思っていました。

    命を断つために用意した『それ』を使うこともなく…

    間抜けにも気付けば眠りに落ちていて、目が覚めたらブラインドの隙間から陽が射していて。

    その朝の日の光をベッドからぼんやり眺めていると、私はなんとなくこんなことを思いました。(感じました。)

    『あぁそうか。人は眠りに就いている間に死に、朝この日の光と共に蘇るんだなぁ…。

    なんだ。命を断たなくてももう既に僕は何回も死んでるじゃないか。
    そしてまた今日という日に蘇ったんだ。

    昨日の僕はもう死んだ。昨日の世界ももう終わった。

    いまここに在るのは窓から射し込む、暖かな日の光だけ。
    生きてるって幸せだな。』

    などと、突然の悟りみたいなものが私の中に降りてきまして。
    (一瞬、本当に死んだんじゃないかと思いました…笑)

    以来、この世に在る生きとし生けるもの全ては、死ぬべき時に死にゆくもので、それがたとえ自死であってもそれもまた死ぬべくしてのことなのではないかと。

    だとしたら、その時までただ生きていればそれでいいか。

    なんて、投げやりに聞こえるかもしれませんが、そんな風に心が軽くなったのを覚えています。

    まぁそれだけなんですけど、あの時に感じたそれは仙人だったなぁと、筋斗雲にも乗れそうな心持ちでした。

    人生とは分からんものだなとつくづく思いますね。

    絶望の中、ある日、未知なる救いの手が差し伸べられたりするのですから。

    すいません。相変わらず独り言みたいなコメントです。
    スルーして構いませんので(笑)

    • こころ より:

      お久しぶりですtake5さん。なぜかコメントがスパム扱いされていて、表示を許可するのに時間がかかってしまいました。申し訳ありません。

      take5さんのおっしゃっていること、わかりますよ。
      似たような体験をしたことがありますが、本気で死の淵を覗いてみたりすると、それが文字通り起死回生のきっかけになったりするんですよね。

      人生には、そうした逆説が数多くあると思います。
      死の淵をのぞき込んで生の活力を得たり、恐怖へと飛び込むような行動をすることによって恐れをなくしてしまったり。

      その時の不思議な感覚は、いくら言葉を尽くそうと説明できるものではない。
      その通り、人生とはわからんものです(笑)
      だからこそ、自分自身の感覚をとことん信じて進めば良いんですよね。

  2. ストッカー より:

    はじめまして、こころさん。
    まずはお礼を言わせてください。

    私はつい最近まで借金を背負っていて、生活していくだけで精一杯でした。
    ですがこころさんのブログに書かれていることを毎日実践し、一念発起して金の錦蛇の財布を8月に買いました。するとどうでしょう。
    約半年の間に借金を肩代わりしてくれる人が現れた上に、ちょっとした繋がりから年収1300万円近くの仕事に転職できました。
    引き寄せの法則の体験談ではよく「思いがけないところから願いが叶った」と言われる方が多いですが、私もまさにそのような印象です。

    生活が大きく変わりすぎてまだ実感がありません。
    つい最近までお金に困っていた男が、これからのお金の使い道に困っているんです。信じられますか?自分のことなのにまだ実感が湧いてきません。

    これが引き寄せの法則でしょうか?
    それなりに疑っていた私ですら、これほどの願いが叶って良いんでしょうか?
    書けば書くほど不思議でしかたありません。
    これまでずっと苦労してきたのに、たったこれだけでこんなに変わるものなのかという衝撃が未だに忘れられません。

    こころさん、本当にありがとうございます。誰がなんと言おうと、私がこうなれたのはこころさんのおかげです。
    今は色々な人に感謝したい気持ちでいっぱいです。
    こころさんは記事の最後に「あなたに幸せが訪れますように」と書かれていますが、その気持ちが今ならとてもよくわかります。

    繰り返しになりますが、本当にありがとうございました。
    常に感謝の気持ちを持って、幸せな人生を歩んでいきたいと思います。

    このブログをご覧になっている方々にも、幸せが訪れますように!

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