悪口や陰口を言ってはいけない理由とは?

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成功したければ、あるいは良い人生を送りたければ、悪口、陰口、そして批判の類は口にしない方が良いと言われている。

その理由として時々見るのが、「他人のことを悪く言うと自分に返ってくる」だとか「他人を悪く言うと人生の運気が悪くなる」といったなんとも漠然とした理由だ。

では、実際のところどうなのだろうか?

私の実感としては、これは正しいと思っている。

ただし、もちろん上述のような曖昧な理由からではない。

もう少しまともだと思われる理由に思い当っている。

という訳で、今回はなぜ悪口や陰口を言ってはならないのか、を書いていこうと思う。

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内なる批判者の監視

悪口というのは、それを口に出す度、もっと言えばそれを考える度に内なる批判者を強化することになる。

内なる批判者とは何か。それは、自分や他人の行いを批判し、裁く者である。理性の働きの一部だ。

内なる批判者の主な役割は、行動の制限である。一般論として、人間社会に生きる以上、何でもかんでも好き放題して生きていくのは難しい。自分がそういった行動をとろうとした時、「こんなことをしてはいけない」とブレーキをかける存在が居る。それが内なる批判者だ。

この内なる批判者は、人間が円滑に暮らしていくためのブレーキとして働いてくれている。だが、この内なる批判者が権力を持ちすぎてしまい、怒りの神のように多くのものを裁いてしまう場合がある。

この状態は、多少まずい。

なぜかというと、内なる批判者にできることは、批判をしたり行動を制限したりすることだけだからだ。

内なる批判者の権限が、単なる批判に留まってくれるのなら良い。だが、他人に対する批判が強まれば強まるほど、行動への制限も強まっていく。

この時、行動を制限されるのは誰か? 他人ではなく、自分に他ならない。

他人に言った言葉はブーメランのように帰ってくるという言葉がある。まさにその通りで、他人に投げかけた批判というのは、必ず自分に対しても帰ってくる。というより、奥底に貯まり続けている。

例えば、他人に対して「〇〇をするなんて、あいつはなんてあくどいやつだ」と言ったような批判を投げかけたとする。

そうした場合、自分もその〇〇ができなくなる……と言って言い過ぎなら、かなりやりづらくなる。

そうした批判をしてしまうと、自分が同じことをした時必ず同じことを言われると思い当るからだ。

そうした場合、何をするにしてもまず「〇〇をしてはいけない」という制限がかかることになる。

「それのどこに問題が?」と思う人も居るかもしれない。だが、どんな人間であれ例外なく、この手の制限を何十個何百個と持っているのだ。

この制限が、誰がどう見ても駄目だと思うような行為ならそうそう問題はないだろう。だが、別にやったところで問題がない行為にも、かなり強い制限をしてしまっている人は多い。

それも、一つや二つなんてレベルではない上に、無意識に染みついてしまっているので自覚がしづらい。何をするにしても行動を起こせない無気力な人間というのは、こうした制限によってがんじがらめにされている可能性もある。

では、こういった状態に囚われてしまっている時というのはどうすれば良いのだろうか。

マインドブロックに囚われている時の対処法

制限にがんじがらめにされている場合、有効な手段はいくつかある。

まず、他人を批判しないこと、自分の行動を許してやること、思いついたことをノンストップで書きなぐることだ。

他人を批判しないこと

他人を批判しないことに関しては、別に肯定をする必要もない。

ただ、誰が何を言って何をしようと、「まぁ別に良いか」で済ませてしまうことだ。

エイブラハムが言うところの、許容し、可能にする術が参考になるだろう。他人を、そして現実をただあるがままに受け入れるのだ。

抵抗をしなくなった時、不思議と自分の望んでいた以上の流れに乗り込んでいたりする。

他人と現実をコントロールしようとすればするほど、コントロールする必要のあるものが現れてくるのだ。

自分の行動を許してやること

これは、「自分の行動を批判しない」と言い換えることもできる。ここで言う行動とは、自分の思考なども当てはまる。

とにかく批判しない。それどころか、肯定してやる。つまりは、最近このブログでよく書いている自愛だ。

自愛をしていると、いつの間にかこうした制限はなくなっていき、軽やかに動けるようにもなる。

思いついたことを書きなぐる

最後は、思いついたことをそのままノンストップで書きなぐることだ。

これは、例えば気分が沈んでいる時や怒りが収まらない時にはかなり有効だ。

その気分を思い切り増幅させ、吐き出すようにして書いてやろう。コツとしては、脈絡などを気にせず、思いついたことをひたすら書くことだ。

すると不思議なことに、そうした気分はきれいさっぱり消え去っている。

これは紙に書いた方が良い。もしその書いたものを残したいと思わないのならば、ライターか何かで燃やしてしまおう。

禊になるのか、とてもすっきりする。おそらく、次の日に同じことを書こうと思っても何も思い浮かばないだろう。それは、感情を手放せたというサインだ。これを続けていくと、不要な感情や制限がドンドン取り払われていく。

批判をしないのは誰のため?

批判をしてはいけないというと、どこか倫理的な押し付け感があり、遠ざけてしまう人も居るかもしれない。

だが、批判をしないというのはあくまでも自分のためだ。自分を解放するためにしないという、自分勝手な理由だ。こう考えた方がしっくりくる人は、こう考えて欲しい。あくまでも自分のためと思えば、こうした習慣が身に付きやすい。

悪口や陰口というのは、別にしても構いはしない。が、それは他人だけでなく自分をも縛る弊害がある。自己のためを思うなら、しない方が色々と楽だ。あくまでも自分のために、他人を裁かないようにしてみよう。

では、今日はこの辺りで。あなたに幸せが訪れますように。

追記

補足の記事を書きましたので、ご覧ください。

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コメント

  1. にる より:

    お久しぶりです。
    就活の不安に対する質問に答えていただいたにるです。
    先日は本当にありがとうございました。
    最近は更新が増えてこころさんの記事がたくさん読めて嬉しく思っております。

    わたしはけっこう性格がキツイところがあり、心の中で人を(時に自分も)裁く傾向があり大層生きづらく思っていたのですが、瞑想を始めてから

    不快な対象→不満、愚痴

    という流れから

    不快な対象→モヤっとしたものに気づく→そらすor何故不快かを考える

    という流れに持っていけるようになったことが最近一番の驚きでした。
    またどんだけちっちゃいことまで反応してんねん、と笑ってしまうことも増えました。

    瞑想により自分の精神状態をメタ的に把握することが前より容易になったように思いますし、またあまり悪い状態になることも少なくなったように思います。

    就活の方は現在行きたい機関が2つあるのですが、どっちかに行けたらハッピーだし、まぁダメでも最終的にはベストな結果になるやろ、と気楽に考えるようになりました。
    最終的には今の状態もベストな結果のために必要な過程なんだろうなと自然に思えるようになったのでこれを維持していきたいです。

    瞑想の効果を少しずつ感じつつあるという報告でした。
    また質問がありましたらお聞きしたいと思います。
    いつも有益な情報を公開していただき本当に感謝しております。
    今後も更新を楽しみにしております。

    あ、あと恋愛関係の記事、わたしは読みたいです!
    是非是非よろしくお願いします笑

    • こころ より:

      お久しぶりです。
      良い変化が起こっているみたいですね。
      そのご様子なら大丈夫でしょう。何も言うことはありません。

      そういえば最近毎日更新していましたね。
      色々な人に言われてようやく気づきました(笑)
      気が向く限り続けていきます。

      恋愛関係の記事、了解しました!
      楽しみに待っていてください!

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