人生に絶望している人間は、ほんの少し変わるだけで願いが叶うようになる

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個人的に強い実感として持っているものがある。

それは何かというと、人生に絶望している人間ほど、自由に願いを叶えられるようになりやすいのではないかということだ。

一応断っておくと、人生に絶望しないと願いが叶えられないという訳ではない。むしろ、私としてはそういった人間を出さないためにこのようなサイトを作ったという面もある。

しかしながら、もう既に絶望しきっている人のためにも、こうした事実というのは書いておかねばならない。

引き寄せの法則において、絶望した状況というのはむしろチャンスにすらなりうる。

それはなぜなのか、ということを今回は書いていこうと思う。

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なぜ絶望している状態はチャンスなのか?

なぜ絶望している時がチャンスなのか。

それは、それまでのやり方ではどうしようもなかったということが強く実感できるからなのではないかと思う。

私たちの目の前に展開している世界というのは、自分の潜在意識が持っている思い込みや観念がそのまま投影されたものだ。現実があってその中に自分が居るのではなく、まず自分が居てその中に現実があるという形になる。

これが何を意味するのかというとつまり、自分の内面を変更してしまえば、私たちが現実と思っている世界も姿を変えるということだ。引き寄せの法則の本質とは、内面を変更することによって現実も丸ごと変えていくということだと思っている。

しかし、その内面の変更を邪魔するものがある。それは何かというと、私たち自身の思考だ。

この思考というのは、大抵の場合私たちに不安をもたらすような考えばかり突きつけてくる。

例えば、あなたが何かを願ったとする。するとその直後にすぐ、「でも〇〇だから私には難しい……」だとか「運が良くないと絶対無理……」だとか、できない理由ばかり考えてしまうという経験は必ずあると思う。

この、できない理由ばかり探しているのが思考なのだ。願いが叶わないという人の多くは、この思考の声を真に受けてしまい、すぐにその願いが「叶わない」ものとして認識してしまう。そして、その通りの叶わない現実を引き寄せ続けてしまう。叶わない原因というのは、言ってしまえばこういったメカニズムになっている。

こういった、できない理由を突き付けてくる思考の方が現実味があると考えてしまうのは仕方がない。なぜならば、その湧きあがってきた思考というのは、あなたがそれまでずっと持っていた観念であり、その観念の通りに現実が展開してきていたからだ。だからこそ、これまでそうしてきたように、自分の願いを邪魔するような思考の言葉を真に受けてしまう。人間にとって、思考のもたらすイメージというのは凄まじく信憑性があるように思えてしまうのだ。

だが、この状態から一気に抜け出す可能性が高い人たちが居る。それこそが、絶望してしまった人たちのことだ。

夜明け前が一番暗いと言う。その言葉は正しい。引き寄せの法則において、一気に願いが叶うようになる地点に一番近いのは、絶望しきってしまっている人たちだ。少なくとも、私はそう思う。

なぜかというと、絶望した人というのは、それまでのやり方が何もかも間違っていたという思いが強いので、それまで持っていた認識を一気に捨て去れる可能性が高いのだ。

私の認識が大きく変わったきっかけというのはいくつかあるが、その一つが人生に強く絶望している時だった。

引き寄せで願いを叶えようとしていたが全く願いは叶わず、こんなものはインチキだと思いそれを強く否定するようになった。そして「人生というのは常に未来のことを考え、努力して戦い続けなければならない」という思いを再び持つようになった。

案の定疲弊していった私は、とうとう命を絶つ寸前にまでなって、瞑想にたどり着いた。なぜ瞑想だったのかと言うと、「現実が変わらなくてもいいから、せめて精神的に楽になろう」と望んだからだ。

その時出会ったのが、今ではよく紹介しているこの本だった。

瞑想というのは、簡単にまとめてしまえば自動的に発生する自分の感情や思考に気づき、それを客観視するというものだ。人間というのは大抵、自分が意図した訳でもないのに感情や思考が何かに反応して自動的に湧いてくるようになっている。

この自動的に湧いてくる反応というのが苦の原因なのだが、これを客観的に眺めるだけで不思議と楽な気分になる。勝手に湧いてくる反応をいちいち真に受けることがなくなり、距離を置けるようになるのだ。

絶望しきっていた私は、この瞑想の心地良さというものに心底驚いた。実は、この瞑想というのは引き寄せの法則をインチキだと思う前にも実践していたのだが、効果がよくわからずあまり続かなかったのだ。絶望していたからこそ、その楽な心境というのがより強く感じられた。

そうして、自分の望まない思考や感情に反応することが段々と少なくなっていき、精神的にかなり楽な日々を送れるようになっていた。

そうした日々を過ごしている時、突然気づいたのだ。『もしかして、引き寄せの法則で散々言われいてた「今を生きる」というのは、こういうことなのではないか?』と。

そう思った私は、再び引き寄せの法則関連のサイトや書籍を読み漁った。そして愕然とした。そこに書かれてある言葉が全て、まるで私自身が書いたかと思えるくらいにその時の私の心境と合致していたからだ。思考の無力さ、精神的安楽さ、今を充実させることの万能性、不思議なシンクロニシティ、流れるような幸運の連続……。

これは偶然ではないと思った私は、再び引き寄せの世界に戻っていった。そして、様々なメソッドを試した。どことなく「これは間違いなく叶うだろう」と思っていたが、不思議と叶わなくても問題はないとも思っていた。その時手に入れていた精神的な気楽さがあれば、別にそれだけで幸せに生きていけるだろうとも思っていたからだ。

結果から書くと……それまでいくら願っても叶わなかったことが、拍子抜けするほどあっさり叶っていった。

「なぜそのような偶然が?」と考えるのも馬鹿らしくなるような偶然、あるいは大きな力に押し上げられているような感覚によって、流れるような自然さで叶っていっていた。

こういったことはやはり色々な人が経験していたそうで、これは偶然ではないという思いをことさら強くした。絶望していた人が、起死回生の覚醒とも言うべき認識の変更をして人生を一変させたという事象は、ネットだけでなく現実でもよく目にした。

そうした人たちの多くに共通しているのは、まず心の安寧を求めた点だと思う。

目の前に展開している過酷な現実にも関わらず(あるいはだからこそ)、心の安寧を求め、それを手にした。そして、そこから認識が変更し不思議なほどの逆転が起こっている。

こうした人たちに起こった認識の変更というのは、目の前の現実に関わらず幸せになっても良いということではないだろうか?

私は、それまではあまりにも過酷に感じられていた現実が、自分の考え方ひとつで気楽なものになると体感してからは、現実がドンドン都合の良いように変わっていった。現実とは、案外いい加減なものである。以前こういった記事を書いたが、幸せな現実だから幸せになるのではなく、幸せだから幸せな現実が展開されていくのだ(もちろん、考え方次第でどこでも幸せという言葉遊びではなく、本当に幸せな現実に変わっていく)。私は、今ではそう確信している。

では、今日はこの辺りで。あなたに幸せが訪れますように。

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